駅のはじまり、街のそれから

神戸駅 編

写真提供:京都鉄道博物館

なぜ神戸駅は鉄道開業時に
西の拠点となったのか?

~海運で開けた神戸の町の成り立ちとの関係性から~

目次

  1. 神戸港開港以前
  2. 神戸港開港
  3. 神戸駅誕生
  4. 東海道線開通
  5. 近代産業発祥の地
  6. 語り手

ダイジェスト

奈良時代
大輪田泊と呼ばれる海運の要衝
室町時代
日明貿易の拠点、兵庫津
1868(明治元)年
兵庫港(神戸港)開港
1869(明治2)年
京都~神戸間鉄道敷設決定
1874(明治7)年
神戸駅開業
1877(明治10)年
京都~神戸間全通
1889(明治22)年
新橋~神戸間の東海道線が全通
1906(明治39)年
山陽鉄道が国有化され山陽線に
1934(昭和9)年
現在の3代目神戸駅誕生

天然の良港で発展した神戸の海運

陸に鉄道が敷設される前、物や人の流れは港を拠点とした海運が主体だった。神戸における鉄道の歴史を紐解くには、港の歴史を知らずして始まらない。神戸の港は、北風を遮る六甲山系や西風と潮流を遮る和田岬の存在、海底が深く大型船が停泊できたことなどの好条件に恵まれ、天然の良港といわれた。港の歴史は古く、大輪田泊と呼ばれた奈良時代から海運の要衝であり、中国大陸や朝鮮半島との交易の玄関口として繁栄。平安時代には平清盛が福原京への遷都に併せて港を改修整備し、日宋貿易の拠点に。室町時代になると兵庫津と名を変え、足利義満による日明貿易の拠点となる。さらに江戸時代には北前船の主要な寄港地となり、兵庫津最多の船を所有した大豪商の北風家が巨万の富を築いた。明治時代に入り文明開化の動きが起こると、良港を基点とした鉄道の一大拠点が誕生することになる。

神戸港開港とともに、鉄道の西の拠点へ

江戸幕末の日米修好通商条約締結により、約200年続いた鎖国政策が終焉して開国。函館、横浜、長崎、新潟と並んで兵庫が開港地に選定され、開港への動きが進んだ。条約では当初、1863(文久3)年1月1日に兵庫港を開港することになっていたが、攘夷運動の活発化、貿易による国内経済の混乱、朝廷がある京都に近いことなどの事情から天皇の勅許が下りず遅延。予定から5年後の1868(明治元)年1月1日(慶応3年12月7日)に、「兵庫港」として神戸港が開港した。

開港当時の神戸港
開港当時の神戸港(イラストレイテッド・ロンドン・ニュース)
Photo : Kobe City Museum / DNPartcom

翌1869(明治2)年には、長州や薩摩の明治政府関係者が鉄道の敷設を推進し、廟議により決定。東京(新橋)~京都の幹線に加え、東京(新橋)~横浜、琵琶湖(長浜)~日本海(敦賀)、京都~神戸の3支線を敷くことが決められた。3支線に共通するのは、いずれも港へ接続している点だ。特に神戸は、日本海と太平洋という2つの大海を繋ぐ窓口として重要視され、日本の鉄道における西の拠点に定められる。

1870(明治3)年7月、政府の役人と外国人技師が神戸に入り、英国公使館敷地に神戸出張所を設置。測量に取りかかり、年内には神戸~大阪間の敷設工事が始まった。

豪商からの寄進で得た、港近くの広大な敷地

線路の敷設に伴い、鉄道輸送の拠点となる駅の建設もスタート。神戸が誇る海運との接続という国家的ミッションを果たすため、駅の敷地は港の近くに決定された。場所は、宇治川河口南西付近の旧福原。現在の東川崎町1丁目あたり、つまりハーバーランド一帯だ。

1871(明治4)年に旧福原の遊郭が立ち退いて「汽車庫」の施設が建設され、翌1872(明治5)年4月には駅の敷地が南のガニ川まで拡張し神戸村と兵庫津の間の土地を占めた。この一帯には、葦の茂る渚と、先述の豪商・北風家が天保飢饉の際に開いた粥腹新田があり、北風家からの寄進によって港近くに広大な土地を確保したのである。

一方、駅構内から本線へ繋がる線路が、西国街道と交差する問題も浮上。このため、街道が鉄道を跨ぐ形で相生橋を架けることとなった。この相生橋が当時の神戸駅敷地の北端にあたり、そこから南の海側へ向かって放射状に線路が延びて、旅客用の駅本屋や、海運と接続する桟橋、倉庫群や工場群へと繋がっていった。

開業の頃の官設鉄道神戸駅
髙橋健司氏 「開業の頃の官設鉄道神戸駅」歴史と神戸/神戸市学会編より(一部改編)
初代神戸停車場
写真提供:京都鉄道博物館

そして、神戸港開港から6年を経た1874(明治7)年5月11日に神戸~大阪間が開業し、同時に神戸駅も営業をスタート。構内施設の完成度は7割程度で、その後も工事は継続した。

先立って同年1月には、相生橋が完成。当時の人々の間では、「川がないのに橋がある」と謳われ大きな話題を呼んだという。神戸駅の開業に合わせて周辺の施設整備が進み、人や物の往来が盛んになっていった。

1877(明治10)年2月5日には、当初目標の1つであった神戸~京都間が全通。京都、大阪、神戸の各駅で、明治天皇臨御の記念式典が開催された。

駅周辺が中心市街地へ発展。東西の鉄道大動脈を繋ぐ接点に

明治10年代には、鉄道建設は関西を中心に進められた。琵琶湖を連絡船で結んで、神戸・敦賀間の路線を開通させ、長浜から東京へ向かって幹線建設を開始する。鉄道局長の井上勝は大阪にあった局本部を1881(明治14)年6月から5年間、神戸に移転して建設を推進し、鉄道敷設用の資機材を供給していた神戸駅構内の工場は鉄道局の正式組織となった。局本部は全国の鉄道事業を管轄。東京で発足した日本鉄道に対して技術者派遣や資機材調達など便宜を図った。

1889(明治22)年7月1日、新橋~神戸間の東海道線が全通。9月1日には、前年創業し、姫路まで開通していた山陽鉄道が乗り入れた。これに先立ち、同年4月には接続に有利な現在の場所へ旅客駅が新築された。レンガ造りの2代目神戸駅である。

2代目神戸駅構内
2代目神戸駅構内
写真提供:京都鉄道博物館

東海道線の開通によって新橋・神戸間は20時間余で結ばれた。関西の人々にとって東京への交通手段は、蒸気船から鉄道へ取って代わる。駅周辺は活況を呈し、駅前の湊川神社門前には商店街が興り、相生橋を越えた神戸側には先の郵便局に加えて警察署、市役所、商法会議所(現商工会議所)など官公庁やホテル、新聞社が立ち並び、海に面して宮内庁の神戸御用邸があった。駅周辺は、鉄道とともに神戸の中心市街地へと発展していった。

1906(明治39)年には鉄道国有化法が発布され、神戸駅は東からの東海道線の終点、西へは1901(明治34)年に馬関(下関)まで開通していた山陽鉄道改め山陽線の起点として、東西の鉄道大動脈を繫ぐターミナルとなった。現在の神戸駅5番線の海側線路脇にあるキロポストがその象徴である。

鉄道網が整備される中、神戸駅は西日本の鉄道の要となってゆくが、市内においても1910(明治43)年には駅前を通って神戸と兵庫の街を結ぶ市街電車(神戸電気鉄道:後の神戸市電)が開通する。神戸駅は路線の中央に位置し、街の中心的役割を担うこととなった。

神戸駅5番線海側線路脇にある0キロポスト
神戸駅5番線海側線路脇にある0キロポスト

時代が昭和に入ると、列車本数の増加に伴う踏切の問題を解消するため、神戸市内の鉄道を高架化。1934(昭和9)12月5日に、現在の3代目神戸駅が完成した。鉄道省初の高架駅となる現在の3代目神戸駅が完成した。後に続く高架駅のパイオニアである。

3代目神戸駅駅舎風景と現在の駅舎
写真提供(左):京都鉄道博物館

鉄道だけじゃない。近代日本の産業技術発祥地

世界でも有数の良港と国内外で名を馳せる神戸港。その海運との接続拠点として生まれ、150年の歴史を重ねてきた神戸駅。その規模や果たしてきた役割は、現代を生きる私たちがイメージする旅客中心の鉄道駅の範疇をはるかに超える。鉄道黎明期の神戸駅は、単に旅客が乗り降りする場だけでなく、鉄道関連の工場群や倉庫群、港湾設備なども備える一大施設だった。

構内にあった工場は、新橋よりも規模が大きく日本一の規模を誇った。開業直後の1875(明治8)年には国産初の客車を製造。1877(明治10)年の神戸~京都間開通時の記念式典で明治天皇のお召列車に使われた御料車は、神戸駅の工場で独自に設計・製造したものだ。お召列車の牽引用に、機関車の改造も手がけている。さらに、1893(明治26)年には、日本初となる国産機関車の製造を成功させた。

機関車製造を指導したのは、蒸気機関車を発明したトレビシックの孫のR.F.トレビシック。関与した技師は大学の機械工学課で講義し、図面を作成した技手は後に機械メーカで国産機関車の量産化を指導している。

1号御料車(初代)1876(明治9)年製造
1号御料車(初代)1876(明治9)年製造
写真提供:鉄道博物館

また、開業当時の神戸駅は、機関車への給水に必要な大量の水を確保するため、独自の水道設備を備えていた。水源は現在の神戸大学附属病院の近くにあった溜め池で、地下を通して駅まで水を引いたとされる。日本の都市における近代水道は、横浜の1887年が最初で、神戸が1900(明治33)年。神戸駅では、行政による水道布設よりも早く、独自に水道を通していた。

神戸駅は、鉄道だけでなく近代日本における機械産業やインフラ関連の技術発祥地といっても、決して過言ではないだろう。


神戸駅の語り手

鉄道史資料保存会 季刊「鉄道史料」編集部
髙橋健司氏

戦後、神戸の中心市街地は東へ移り、旅客駅としての中心的役割は三宮が担うようになりました。現在の神戸駅とその周辺には、ほぼ往時の面影が残っていません。初代の神戸駅が広がっていたハーバーランドと現在の神戸駅は、国道と阪神高速で分断され、神戸発祥の頃の駅と港の関係が認識されていないのは残念です。往時を知ってもらうため、資料の収集や展示はもとより、例えば、VRを使って、駅からの昔の風景を再現するのはどうでしょう。港を背景に、ハーバーランドにあった駅舎から、緑や青色の機関車がマッチ箱のような客車を牽いて出発します。150年前に鉄道が敷設され、港と駅を起点に発展した神戸の街を体感できるでしょう。