駅のはじまり、街のそれから

三ノ宮駅 編

写真提供:京都鉄道博物館

三ノ宮駅が一大ターミナルになったきっかけは、外国人への配慮から?

~国際都市・神戸の発展とともに歩んだ駅の歴史~

目次

  1. 外国人居留地
  2. 敷設ルートの決定
  3. 初代三ノ宮駅
  4. 第二、三代三ノ宮駅
  5. 一大ターミナルへ
  6. 大水害と戦禍
  7. ターミナルの拡大
  8. 震災からの復興
  9. 語り手

ダイジェスト

1868(明治元)年
兵庫港(神戸港)開港
1874(明治7)年
初代三ノ宮駅開業
1913(大正2)年
三ノ宮周辺の都市計画を神戸市が策定
1928(昭和3)年
第二代三ノ宮駅が開業
1930(昭和5)年
第三代三ノ宮駅が地上で仮開業
1933(昭和8)年
阪神電鉄本線岩屋~神戸(現・神戸三宮)の地下線を開通
1937(昭和12)年
第三代三ノ宮駅が完成

神戸開港とともに置かれた外国人居留地との関係性

1868(明治元)年1月1日(慶応3年12月7日)、「兵庫港」として神戸港が開港。1858(安政5)に締結されていた日米修好通商条約の規定に基づき、外国人居留地が設置されることとなった。神戸開港の半年前から江戸幕府によって急ピッチで造営が進められ、幕府滅亡以降は明治政府が引き継いだ。範囲は、神戸市役所と東遊園地の西の筋から鯉川筋まで、三宮神社の南の筋(西国街道)から南側。現在の東町、伊藤町、江戸町、京町、浪花町、播磨町、明石町、西町、前町、海岸通の一帯だ。

1874(明治7)年5月11日の神戸~大阪間における鉄道開通と同時に開業した三ノ宮駅は、この神戸居留地の外国人利用に重点を置いた駅として計画設置された駅だった。資金の捻出が非常に厳しく駅間が5~10㎞の当時、神戸駅と三ノ宮駅の間隔はわずか2㎞。このことからも、外国人居留地との関係性が見てとれる。

外国人の競馬場に翻弄された、線路のルートと駅の場所

当初、明治政府による線路の敷設計画は、現・山手幹線沿いから生田神社を越えて南西へ折れて神戸駅へ繋ぐルートだった。三ノ宮駅の場所も、現在の場所とは異なる現・東門街の北端あたりに計画。しかし、いざ工事が始まると、居留地の外国人から待ったがかかる。

横浜同様、居留地がある神戸では、外国人がレジャーとして楽しむ競馬やハイキング、ゴルフなどのために、居留地外にも施設が整備されていた。その一つである競馬場が現・東門街一帯にあったため、鉄道や駅の建設工事に伴う移転補償の莫大な賠償金を請求されたのだ。

1871年頃の競馬場の風景。右奥に見えるのが生田神社の鎮守の森
1871年頃の競馬場の風景。右奥に見えるのが生田神社の鎮守の森

これにより、鉄道建設工事は急遽中止を余儀なくされ、ルートの大幅な変更が行われる。とりわけ、三ノ宮駅の場所は最後まで計画が迷走。再三にわたる計画変更の末、現・元町駅の場所に決定された。

「兵庫神戸實測図」明治16年9月版(一部抜粋)を元に戸島氏が加筆して作成
「兵庫神戸實測図」明治16年9月版(一部抜粋)を元に戸島氏が加筆して作成
初代三ノ宮停車場付近
初代三ノ宮停車場付近
写真提供:京都鉄道博物館

外国人中心の高級客乗車駅として賑わった、初代三ノ宮駅

港と接続する鉄道の一大拠点だった神戸駅に比べると、三ノ宮駅は小規模な中間停車場に過ぎず、神戸駅が大ステーションと呼ばれたのに対し、三ノ宮駅は小ステーションと呼ばれた。しかし、開業後は居留地の外国人を中心とした上等・中等客が神戸駅の10倍を超える高級客乗車駅となる。さらに、開業から10年後には総乗客数で神戸駅を上回っていた。

その後、1889(明治22)年に私鉄の山陽鉄道が兵庫から神戸まで延伸されると、乗り換え利用による神戸駅の乗客数が急激に増加。明治後期には三ノ宮駅の乗客数は2番手となったが、高級乗客数では依然トップだった。また、市電や私鉄と接続されて以降、大正期には兵庫県内で最多の乗客数を誇る駅となる。1898(明治31)年には、外国人に向けてビールを出す店が駅構内で営業をスタートした。

第二代からわずか2年半後に仮開業した第三代三ノ宮駅

時代は大正へと移り、1913(大正2)年に神戸市が三ノ宮周辺を都心化する都市計画を策定。鉄道の高架化計画に伴って、三ノ宮駅の移転が決定された。高架化工事に先立ち、三ノ宮駅の貨物取扱所を新設の神戸港線小野浜貨物駅に移設。その跡地に初代駅本屋などの旅客施設を移し、1928(昭和3)年3月16日に第二代三ノ宮駅が開設された。

第二代三ノ宮駅
第二代三ノ宮駅
写真提供:京都鉄道博物館

その北側で高架化工事が進められる中、わずか2年半後の1930(昭和5)年7月1日に第三代三ノ宮駅が地上で仮開業。翌1931(昭和6)年6月1日には、未完の高架駅での営業が始まった。

その後、地上線と第二代駅が順次撤去されていく。その間、1933(昭和8)年6月17日に阪神電鉄本線が岩屋~神戸(現・神戸三宮)間の地下線を開通。新駅と駅ビル、そごう神戸店(現・神戸阪急)が相次いで開業した。これが、三宮地下街のルーツとなる。

翌1934(昭和9)年には、地元からの請願により初代三ノ宮駅の跡地で元町駅が開業した。

市電、阪神、阪急とともに一大総合ターミナルへ

阪神電鉄本線の軌道線撤去工事と併せて、第三代三ノ宮駅南口広場の整備が進行。1936(昭和11)年3月18日に、阪神電鉄本線の三宮~元町間が地下線で延伸開業する。また、同年4月1日には、阪神急行電鉄(現・阪急)が阪急神戸(現・神戸三宮)駅を開業。高架下の旧国鉄三ノ宮駅北駅舎跡地は改修され、現在のJR三ノ宮駅施設として利用されていくこととなる。

そして、1937(昭和12)年3月31日、三ノ宮駅の南駅舎と南北駅前広場が竣工。高架線化と高架駅新設の大工事が終わり、第三代三ノ宮駅が完全完成を迎えた。同年5月24日からは、東灘~神戸の複々線電化運転がスタート。現JR三ノ宮駅のルーツが形づくられ、市電、阪神、阪急と合わせた一大総合ターミナルが誕生した。

昭和初期の三ノ宮駅前付近。中央の建物は「三宮阪神ビル(そごう神戸店)」
昭和初期の三ノ宮駅前付近。
中央の建物は「三宮阪神ビル(そごう神戸店)」

大水害と戦禍を乗り越え、鉄道と駅の使命を全う

しかし、高架化が完了した翌年の1938(昭和13)年7月、台風の集中豪雨により芦屋から須磨までの全河川が氾濫する阪神大水害が発生。三ノ宮ターミナルのすぐそばを流れる旧生田川(現フラワーロード)では、土砂や大木、巨岩などが暗渠の口を塞ぎ大量の土石流があふれ出し、周辺に甚大な被害が及んだ。鉄道をはじめ交通機関は全て運行不能となったが、高架上の三ノ宮駅には逃げ延びた人々が集まり一命をとりとめたという。

阪神大水害発生当時の三ノ宮駅前
阪神大水害発生当時の三ノ宮駅前

また、1941(昭和16)年に勃発した第二次世界大戦は、神戸の街や鉄道にも災禍をもたらした。戦局が悪化の一途を辿る中、1945(昭和20)年には神戸市もB29による爆撃の標的となる。同年3月17日の神戸西部地区、5月11日の東神戸・御影地区に続き、6月5日には三宮を含む神戸東部地区が大空襲に遭い、街は焦土と化してしまう。幸いにも三ノ宮駅は高架下の駅舎だったため、ホームの運転室を焼失したほかは戦禍を免れた。

道も駅も一日たりとも休むことなく、輸送の大動脈としての使命を果たしたのだった。

時代の移り変わりと、ターミナルの拡大

戦後復興とともに、鉄道の利用者数は年々増加。しかし、急激なモータリゼーションの進展で市内幹線道路の混雑が激化していた。神戸市民の足だった市電路線網が次々と廃止されていく中、最後の三宮~板宿間が1971(昭和46)年3月13日に廃止となり市電は全廃。三ノ宮駅前からも市電の姿が消え、ひとつの時代が終わった。

廃止直前時期の神戸市電
廃止直前時期の神戸市電

一方で、1968(昭和43)年に神戸高速鉄道が、1972(昭和47)年には山陽新幹線の新大阪~岡山間と新神戸駅が開業。高速鉄道による、高速大量輸送時代の到来だ。

1981(昭和56)年2月5日には、神戸新交通ポートアイランド線と三宮駅が開業し神戸ポートアイランドへの運行を開始。同時に、国鉄三ノ宮駅南口で三宮ターミナルビルが開業した。さらに、1985(昭和60)年6月18日、神戸市営地下鉄西神・山手線の開通に伴って三宮駅と新神戸駅が開業。新幹線や西神ニュータウン方面とも繋がり、三宮ターミナルの拠点化がさらに拡大していく。

また、1965(昭和40)年に開業した神戸初の地下街「さんちかタウン」も時代とともに拡大し、20周年のこの年に「さんちか」と改称。単にターミナルとまちをつなぐ地下通路としてではなく、人々が回遊する賑わいの場としての役割を担っていった。

開業当時の三宮ターミナルビル
開業当時の三宮ターミナルビル

震災からの復興、ターミナル圏の進化と発展

時代が進み、昭和から平成へ。昭和の大水害や戦災に続き、三ノ宮駅はまたも大災害に見舞われる。1995(平成7)年1月17日に発生した兵庫県南部地震による、阪神・淡路大震災だ。これにより線路や駅が甚大な被害を受け、神戸市内の鉄道網は寸断された。阪急三宮駅東館や交通センタービル、そごう神戸店、神戸市役所等々の三ノ宮駅周辺ビル群も倒壊。ターミナルは一瞬にして機能麻痺に陥った。しかし、鉄道各社が総力を結集して復旧工事を行い、4月1日にはJR神戸線が全線で運転を再開。地震発生から74日という驚異的なスピードで、復活を果たしたのである。

その後、震災からの復興が進んでいく中、2001(平成13)年7月7日に神戸市営地下鉄海岸線が開通。三宮・花時計前駅の開業によって、三宮ターミナル圏はさらなる拡大を遂げる。さらに、2006(平成18)年2月16日の神戸空港開港に合わせ、2月2日から神戸新交通ポートアイランド線が神戸空港駅まで延伸開業。三ノ宮駅を中心としたターミナルは、空路にも連絡する拠点ターミナルとしての役割も担うようになった。

そして、2012(平成24)年3月には、阪神電鉄三宮(現・神戸三宮)駅の大改造工事が完了し地下東口改札が新設。さんちかや神戸新聞会館ビル(ミント神戸)とも繋がり、三宮の地下街空間がさらに巨大化。その後も三宮ターミナル圏は進化と発展を続け、その中核的存在である三ノ宮駅は開業150年の節目を迎える。


三ノ宮駅の語り手

鉄道駅研究会 講師
戸島正 氏

150年前の開業当初は小さな中間駅だった三ノ宮駅も、今や関西を代表する一大総合ターミナルとなりました。今なお歩みは止まることなく、JR三ノ宮ターミナルビルの建て替えや三ノ宮駅東バスターミナルビルの新設など、大規模な駅前再開発プロジェクトが進められています。三宮ターミナル圏は、今後もさらにダイナミックな変容と拡大、発展を遂げていくことでしょう。