駅にまつわる“現在、過去、未来”のお宝トピックを発掘!

駅宝サーチ
住吉駅編

都心を流れる清流は、地域の人々が守り、育てた宝物だった。

阪神間という都市部にありながら、アユが遡上し子どもたちが水遊びに興じるという清流・住吉川。地域住民の憩いの場として親しまれている現在の姿の裏には、過去のピンチを乗り越えてきたという歴史があった。

生活排水の流入がない清流

六甲山の最高峰、標高930m付近を源にして大阪湾まで約4kmの長さで注ぎ込む住吉川。JR住吉駅を大阪方面へ向かう電車は、駅を過ぎると間もなく橋をくぐるのだが、実はその橋の上を清流が流れている。住吉川は、急流が多くの土砂を運ぶことで生まれた天井川で、鉄道敷設当時の機関車の性能ではその勾配を登ることが難しく、止む無く川の下をトンネルで通過させたという。

森に包まれた六甲山の豊かな水量に恵まれた住吉川には、生活排水の流入がなく且つ急流であることから、瀟洒な建物が並ぶ住吉界隈を流れる川にふさわしい神戸市内でも随一の清流だ。水域には、オイカワやカワムツ、カワヨシノボリの他、アユの遡上も見られ、アオサギやカワセミなどの鳥類も生息している。

川底は砂地で川べりには植物が茂る箇所が点在する。生き物が生息しやすい環境でもあり、子どもたちが水遊びするのにも最適。

自然発生的に生まれ継続されてきた、住吉川の保全活動

1979(昭和54)年の発足以来、住吉川の保全活動を地道に続けているのが「住吉川清流の会」だ。流域住民のボランティア活動に端を発し、地域の自治会や婦人会、子ども会などが協力して様々な活動を行っている。毎年春と秋の2回実施する清掃活動「住吉川クリーン作戦」をはじめ、地域の幼稚園児や小学校の児童が参加する「住吉川絵画コンクール」や「住吉川川柳コンクール」、川に住む生き物や景色の写真を取りながら流域をめぐる「住吉川探検隊 デジタルスタンプラリー」、地元中学生の協力を得て実施する「水生生物調査」など、活動は多岐にわたっている。

清流の会発足当時から続く清掃活動や絵画コンクール。地域の年中行事としてしっかりと根付いている。

土砂運搬のダンプが走る道から、憩いの場所へ

そんな清流の会の活動の場として、地域住民の憩いの場として親しまれているのが川に沿って続く「清流の道」という遊歩道。1974(昭和49)年に設置されたのだが、実はそれ以前は土砂を運ぶダンプのために作られた専用の道路だったという。時は高度成長期、沿岸部の埋め立てに使う土砂を運ぶため街中をダンプが走り回り、事故の危険性が非常に高まっていた。それを回避するため1963(昭和38)年に建設された。1969(昭和44)年までの9年間、1日1,000台ものダンプが往復し「ダンプ道」とも呼ばれ、川の周辺への立ち入りは禁止となっていたそうだ。

土砂運搬の必要がなくなった後も立ち入り禁止状態のまま放置されていたが、地域住民の強い要望により遊歩道として開放された。川から分断されていた人々が、やっと自らが川に触れることのできる機会を得たことも住吉川への愛着を一層強くさせたかも知れない。

昭和30年代のダンプ専用道路だった頃と現在の清流の道。
写真(左)提供:住吉歴史資料館

人々が憩い、集える場所であり続けるために今の姿を未来に残したい。

住吉川清流の会
会長 竹田統さん

古い話からになりますが、私が理事長を務めている住吉学園の敷地にある「禍福無門の碑」は、1938(昭和13)年に発生した阪神大水害の時に、住吉川が氾濫して流れてきた約30tの岩を保存したものなんです。約3メートルの高さに置いてあるのですが、当時はこの高さまで土砂に埋まったのです。それ以降は砂防ダム等の防災対策が進み、住吉川では大きな水害は発生していません。今では時間雨量100mmくらいの雨が降っても水害は起こらないようになっています。最近ではそれ以上の雨が降ることもありますが、遊歩道に水が上がって来ることが年に数回あるかないかという程度に収まっています。

住吉川清流の会でも、憩いの場として事故のない美しい住吉川であり続けてくれることを願っています。夏が近づくと、天気の良い日は家族連れが水遊びに来られます。こんな都会の真ん中で自然の川で水遊びができるというのも、なかなか他では見られないと思いますね。また、絵画コンクールに応募するための絵を描いている子どもたちの姿を見かけることもあります。絵画や川柳のコンクールには、毎年数多くの応募があり、審査する我々も楽しみにしています。

これら活動が始まって45年を超えましたが、地域住民の熱意はもちろん、行政や地域の学校などが協力することが継続している秘訣ではないでしょうか。我々の地域は「だんじり」が盛んで、祭りには若者がどんどん参加します。その関係で地域の自治に対しても、若い世代が非常に協力的なんです。そのような地域性に加え、川で遊ぶことが当たり前のように育った子どもたちが、川での思い出とともに川を守る活動を引き継いでくれると思っています。